02/28(火)
耳栓をする・一晩中暖房。
昨夜02時前小用に起きた。眠れない。
04:22起床。
遠藤異邦立場=30分8頁(-p351)。
高橋捨子語=30分10頁(-p344)。
佐和これ経=30分10頁(-p169)。
遠藤異邦立場=31分11頁(-p362)。
高橋捨子語=11分4頁(-p348)。
W区役所6階食堂(341。カレーライス(味噌汁付き)\430)、
ドラッグ「ツ」SH店(イボコロリ\690)、
中古の自転車を買うつもりで2箇所廻ったが成果なし。
スーパー「わ」K店(434。夕食等\676)、
往復自転車、暖かい、12:30帰宅。
ネットサーフィン(PC)1時間41分。
遠藤周作『異邦人の立場から』(1990 講談社文芸文庫)=
46分25頁(読了。19日かかった。著者初期のエッセイをあちこ
ちの単行本から集めた独自編集。感想は、
第1に、冒頭の「カトリック作家の問題」はエッセイというよ
り研究論文のような硬い文章で、カトリック作家が書いた小説
を読む際、そこで感じる距離感を意識せよと言う。『事件の核
心』(G.グリーン)の主人公をつまずかせたものは「憐憫」だ
と言う。少し分かりにくいが。
第2に、17世紀の慶長遣欧使節派遣に関しては、昨年7月に著
者の小説『侍』を読んで自分なりのイメージが出来ていたが、
本書末尾のエッセイ「生贄の季節」では、徳川幕府も伊達政宗
も単に大型帆船の建造方法と太平洋横断の技術が欲しかっただ
けで、政宗が支倉常長に託した切支丹を歓迎する旨のローマ法
王宛書翰はデタラメと断言している点は、小説『侍』の書きっ
ぷりと随分異なっている。エッセイはエッセイ、小説は小説と
割り切るべきなんだろう)
《計 68頁》。
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